【雲南省 かもめの天空農園 渡航日記②】
曾さんと雲南、そしてコーヒーとの出会い

前回の記事(雲南 かもめの天空農園 渡航日記①)はこちら

にぎやかだったシーサンパンナの夜も明け、静かな朝をむかえました。

その日は、曾さんの車で3時間ほどかけて易武(イウ)という街へ向かいました。お茶の生産地のブランド名として人々からそう呼ばれている地域。

雲南のお茶の名産地として知られる6大名山の中心部となるのがイウで、曾さんの新しいコーヒー農園もそこにあります。ミャンマーとの国境も近く、道中にはいくつもの検問所がありました。

曾さん:「わたしは日本人と台湾人のハーフなんです。日本の名前もあります。『井上アキフミ』と言います。」

曾さんは日本人の父親と台湾人の母親のもとに生まれ、台湾で育ちました。少し日本語も話せます。兄と姉、曾さん、妹の4人兄弟。曾さん以外の兄妹はみんな、今は日本に暮らしているのだそうです。

社会人となり20代前半は台湾の企業に務め、27、28歳頃には日本の企業でも働いていましたが、日本の働き方に慣れることができずに台湾に戻ることを決めたそうです。その後は不動産の会社に勤め、30代前半になると仕事のため雲南に駐在することに。曾さんが雲南へやってきたきっかけでした。奥さんとも雲南で出会いました。

曾さん:「不動産の会社にいた時に土地の調査で普洱(プーアル)*に行くことがあってね、その時に初めてそこでお茶やコーヒーがつくられていることを知ったんだ。
その時にコーヒー農家を20件ぐらい回ってみたんだ。そこで気づいたのは、つくっている彼らが全くコーヒーを飲まないこと。
雲南の外へ売っていく動きも流通の仕組みもほとんどないし、当時はスターバックスに流れるだけだったんだ。」

*雲南省南西部に位置する市

曾さんが見た当時の調査によると、中国のコーヒー消費人口は毎年伸びていて、消費額も毎年15%ずつ伸びている。生活に余裕がある人というよりは、特に都市部の18歳~30代前半ぐらいの若者の間で、コーヒーの消費が伸びてきているのだそうです。

(中国の一大ロースターluckin coffeeのドリンク商品。曾さんは原料を提供している)

曾さん:「消費も伸びているし、コーヒーは一度飲むようになるとなかなかやめられないからリピート率も高い。自分がそうだったように雲南に住んでいても雲南でコーヒーがつくられていることを知らない人がたくさんいる。だから広めたいって思ったんだ。コモディティコーヒーの価格は相場の影響を受けるけれど、スペシャルティだとそのリスクも少なくなる。品質管理なら自分でもできるし、コーヒーを飲まない農家さんたちの役にも立つかもしれない。」

参入の可能性を見出した曾さんはコーヒー業界へと足を踏み入れることにしたそうです。

そんなお話を聞いていると、いつのまにかイウの街へ入っていました。溪谷が重なる地域、等間隔にびっしりと植えられたバナナのプランテーションが広がっている景色が印象的でした。均一、大量、生産性、効率性。それが体現されているかのような景色でした。

(イウにあるバナナのプランテーション。奥までひろがる)

バナナのプランテーションに目を奪われていると、曾さんが新たに取り組んでいるコーヒー農園が見えてきました。車を降りると、この農園を管理しているリーダーの李さん親子が待っていてくださいました。曾さんとのパートナーシップのもと、60人ほどの農家さんたちとともに農園づくりに汗を流しています

(左から曾さん、李さん、李さんの息子さん。イウの農園にて)

曾さん:「道路の右側は1800畝(約120ヘクタール)、左側は400畝(約26ヘクタール)あるんだよ。こっち側(右側)にはブルボンを植えていて、これから左側の土地にティピカやゲイシャを植えていくつもりなんだ。コーヒーの木の間に、桜(サクランボ)の木やナッツの木を植えていきたいんだ。副産物にもなるしね、お花が咲いたら綺麗になりそうだと思わないかい?」

(イウにある曾さんの農園)

まだコーヒーの木を植えたばっかりの農園。その土地の気候にどの品種が合うのか、収量がどれぐらいになるのか、今はまだ実験段階なんだそう。収穫ができるようになったらJAS認証を取り、来年か再来年には農園内に水洗加工場もつくる予定、将来的には宿泊施設やカフェ、コーヒー博物館みたいなものもつくっていきたいと、将来の展望を語ってくださいました。

【雲南省 かもめの天空農園 渡航日記③】大企業のコーヒー栽培指定地、ワ族の農園、そして曾さんの苦悩