未開の地を体験するパプアニューギニア 視察旅行/ONSAYA COFFEE代表・東宏明

2026年7月、約1週間にわたってパプアニューギニアへ渡航したONSAYA COFFEEの東さん。今回は、実際に産地を訪れたロースターが、いったい何を感じたのかロースター視点の産地レポートをお届けします。

岡山市内に4店舗を展開する自家焙煎スペシャルティコーヒー店、ONSAYA COFFEE。代表の東宏明さんは、今も現役でソウルバンド「ジャマーズ」のボーカルを務めています。ステージの上でも、ロースターとしても、人との関係を大切にしてきた東さんは、生産者と消費者、そして関わるすべての人をつなぎたいという思いから、生産地に自ら足を運び続けています。未開の地であるパプアニューギニアで過ごした日々は、東さんに何をもたらしたのでしょうか。

今回のレポーター

パプアニューギニア。どれだけの人がこの国のことを知っているだろうか。位置関係すらわからない人も多いかもしれない。私にとっても位置関係は把握しているものの、イメージできるものは顔を色鮮やかなペイントで化粧した民族たちの写真や、慣習として人の肉を食すというまことしやかな情報くらいだった。

2020年のコロナ禍に入ってから海の向こうコーヒーの山本さんから「パプアニューギニアのいい豆が入ることになったんですが試してみますか?」とのオファーをいただき、初めてパプアニューギニアの”コルブラン”農園のコーヒーを口にした。

その香味はオセアニアからアジアに至るエリアのコーヒーの中では群を抜いて美味しく感じた。コロンビアやグァテマラに勝るとも劣らないのではないかと正直思った。それ以来毎年購入してるのだが、それでもまだまだパプアニューギニアのことはベールに包まれたままのような気がしていた。

位置的にはオーストラリアの北に位置し、オーストラリアの管理下から1975年に独立した国で、ニューギニア島の左半分は今現在インドネシア領で、右半分の独立国を「パプアニューギニア」という。人口は1100万人ほどで、800以上の民族とそれに付属する支族が存在し分かれている。

2026年7月19日、そんな未知の国パプアニューギニアの首都ポートモレスビーに降り立った。途上国が持つ活力にみなぎった空気感と荒々しさを放ち、意外にも涼しい気候に心は躍った。余談だが久々の成田からの直行便第一便ということでセレモニーが催され記念品を頂いた。

異国、しかも未知の国パプアニューギニアに足を踏み入れ、少しドキドキしながら到着後すぐにコーヒー生産の地”ゴロカ”に向かった。

ゴロカは小さな街で、少しリラックスできる街に感じた。自然風景はどこか日本にも似ている気がして落ち着く。到着後早速ゴロカの近くのアサロというエリアに向かう。車で1.5hくらいのアサロには”マッドマン”という泥を全身に塗り泥で作ったお面を頭に被ったユニークな種族がいる。そんなマッドマンのストーリーを披露するマッドマンツアーに参加したのだ。

パプアニューギニアの人たちにとって土地というものは日本以上に大きな存在かもしれない。土地の争いでしばしば紛争が起き、民族間、支族間で殺し合いすら日常的に起きているようだ。そんな土地に執着のあるパプアにおいてこのアサロという地は盆地でとても肥沃な土地であるがゆえに他の部族から狙われやすかったようだ。

ある時アサロの民は襲撃されこの土地を奪われてしまった。そこでアサロの民は自分たちの土地を取り返すために全身に泥を塗り、泥のお面を被って襲撃し返すことにした。なぜならパプアの人たちは幽霊などをとても恐れているらしく、おどろおどろしい姿に対して恐怖を覚えさせることができるので、泥お化けの装いで襲ったのだ。相手は戦意喪失。無事アサロの地を取り戻したのだ。

パプアニューギニアの人たちについてガイドからいくつか教えていただいた。

まず富はお金ではなく豚の数で決まる。結婚するときの結納の基本は豚である。大きめの豚5頭。とか。相手の地域や地位。容姿、教養などに応じて増えていくらしい。プラスで現金や羊の場合も。紛争したときの賠償も豚のようだ。大体1匹10-30万円くらいするのでパプアの人たちからするととても高価である。ちなみに裕福な人は妻の数も増えるらしい。

イーストハイランドには29の言語があり、となりの民族の言葉は違うらしい。ガイドの方は英語(結構みんな話せる)の他に5つくらいの言語を話せるらしいので凄い。パプアの家は竹を中心に家を建てるのだが15歳くらいの男の子は自分の家を建てる練習をする。生きるための知識や知恵を学ぶシステムに日本にはない逞しさを感じた。余談が過ぎたがパプアの人たちの文化を多少なりとも知ることは本当に大事なことだと思う。

さて本筋まで前置きが長かったが、翌20日から本格的に農園を巡り始めた。まずはイーストハイランド。冒頭にもお伝えした、まずはパプアニューギニアのコーヒーを扱うきっかけにもなった農園である”コルブラン農園”に向かった。

ゴロカから車で東へ2hくらい走る。農園の手前の街”カイナンツ”のドライミルに立ち寄った。ここでコルブランの当主、ニコル・コルブランとお会いした。印象は剛腕の白人農園主(笑) といった感じで、やり手経営者の貫禄がダダ漏れである。テキパキと指示を繰り出していた。ちなみにドライミルなどで働いているスタッフの時給は5キナ。日本円にして200円くらい。この給料で豚を買うのは確かに大変だ…。

ニコルさんのアグレッシブな運転を追走し、農園に到着。コルブラン農園は1962年におじいさんであるベン・コルブランが始めた。ニコルも73歳なので本当に歴史あるコーヒー農園である。この農園の印象はとにかくプランテーション!完全に整備された農園の形を見ることができた。広さは300ヘクタール。生産量は250トン!!すごい!!

品種はタンザニアから渡った”アルーシャ”をはじめ、”ティピカ”、”ブルボン”、そして最近は”ムンドノーボ”を栽培している。新しく植え替えも精力的に行っていて、農園経営に余念がない。さすがコルブラン御大将だ!と思った。総勢で200人のスタッフが働いている。

たくさんのスタッフを抱える彼の両肩にはとてつもないプレッシャーもあるだろうがそこはさすが剛腕の白人農園主だ。へんなことしてたら銃で撃たれそうだと思った。ここでは注目する栽培方法を見ることが出来た。普通はシェードツリーを植えて日光を調整するのだが、ここコルブランでは雑草を木の横に植えて、雑草をシェード代わりにしていた。これは初めて見た!と山本氏も唸っていた。

乾燥工程でよく使われるアフリカンベッドについては斜めにすることによって空気の流れを調整したりとテクニックが詰まっていた。あのカップクオリティは伊達ではないと感心した。ニコルの腹心である品質管理のスペシャリスト、エスタさんと一緒にカッピング。さすがさすがのクォリティ!今まで取り扱ったことのないナチュラルやイエローハニーなども確認でき、やはり素晴らしい農園だ!

帰りの車で面白いことが聞けた。この素晴らしい自然環境のおかげなのか、パプアの生産者たちや関係者が口を揃えて地球温暖化の影響なんて感じないと言っていたのだ。

確かにこのエリアの気温は16度くらいだった。非常に過ごしやすい!肌寒いくらいだ。パプアいいなぁ。

翌21日は朝からアサロエリアの”マッドマンコーヒー”を視察。SEED COFFEEという精製工場で、リーダーはほぼボブサップのような体躯のピーターさん。ふくらはぎがウエストくらいあるんじゃないかと思うほど…。パプアはラグビーが盛んなのでタックルされたら一巻の終わりとか勝手に妄想していた。

このエリアはコルブランとは全く異なり、森の中でコーヒーを栽培している。実はピーターさんのお父さんたちが戦後にアサロで最初にコーヒーを植えたそうだ。歴史がとても長い。驚いたことにその頃に植えた80年前の木が今でも台切りされながら現役続行していた。しかもとても太い木になっていてさらに驚き。やはりパプアの土壌は肥沃で凄いと山本さんが再び唸っていた。

SEED COFFEEのリーダーは20トンほどのコーヒーを生産していて、ピーターさんの森の他にもこの地区の村人たちがコーヒーを持ち寄る。ピーターがまとめて精製し、エクスポーターに売っている。

実はコーヒーの品質向上について我々がフィードバックを行っていた時、ピーターさんはそんなに要求するならもっとお金を払ってくれと少しヒートアップした。少し空気がピリッとした。美味しいコーヒーのために僕らはもっとこうしてほしいと彼らにお願いすることがある。よりお客様が喜び、結果豆が売れるという面もある。

しかし彼らにとって、そして集落の人々にとってコーヒー栽培は生活のための仕事だ。要求ばかりであまり価格もあがらないなら不公平と感じるだろう。何かを要求する場合、セットで報酬の話も必要となることも多くありそうだ。しかしこういうディスカッションをしながらお互いに分かり合っていくことはとても大事なことだと思った。最後にはとても穏やかな雰囲気となった。

またまた余談だがアサロに向かう途中、2つの集団が道の真ん中で言い争っていた。手には刃渡り50cmほどありそうなナタ、中には大きな銃を持っているものもいた。どうやら土地をめぐっての争いらしい。警察も来て本当に物々しい雰囲気だ。これが戦闘民族の多いパプアの気性なのかと思った。しかしそんな中車から手を上げて挨拶してみると、なんとみんな手を上げて挨拶してくれるのだ(笑) 争いごとも多いが温かい人が多い気がした。

アサロを後にして西に向かう。運転してくれるのはPNG Export のケーブルさん。陽気な人で、「俺の息子の結婚の時には、結婚相手が少しいいとこのお嬢さんなので、大きい豚6匹と羊2匹、それに現金も渡したんだ~。」と話してくれた。

2時間ほど西に走るとやっとジワカコーヒーに到着した。出発前にいただいたサンプルでとてもおいしかったので気になっていた精製工場だった。出迎えてくれたのはエマさん。優しさとHappyオーラが滲み出ている素晴らしい女性だ。おじいさんの代からチェリーを集めて精製を始めたそうで、ジワカコーヒーの設備はとても素晴らしいものだった。

ジワカコーヒーは今でも周辺の農家さんからコーヒーチェリーを集めて精製して出荷している。彼女はスペシャルティコーヒーとしてコーヒーを取り扱いたいという信念を持ち、周辺の農家にそう呼びかけたそうだ。美味しい素晴らしいコーヒーを一緒に作ろうと。そして賛同してくれた農家さんと素晴らしいコーヒー作りに取り組んでいる。買取価格も通常より10%上乗せして買っている。素晴らしい。

この工場で働く人たちは本当にリラックスして仕事をしていた。実はエマさんはスタッフたちや農家さんたちへの教育に熱心に取り組んでいる。栽培管理や品質管理だけでなくコーヒーについてのさまざまな技術、知識を少しずつ教育を行い意識を向上させている。ビジネスを大きくする前にみんなを教育することが先決なんだよと言われていたその姿勢に感動した。みんなエマさんを信頼して一緒に仕事をしているのだ。

もう一つ可愛いエピソードとしては、周辺の子どもたちもお小遣いが欲しい時はコーヒーのチェリーを摘んでエマさんの元に持ってくるらしい。可愛すぎる(笑)

取り扱い量は18トンでマイクロロット、ナノロットを作っている。

工場を視察後、エマさんたちのパートナー農家、ポールさんのアミブラ、ラスさんのモガに向かう。ジワカコーヒーからさらに西に1時間半くらい走り、マウントハーゲンの空港からすぐ近くの位置にあった。森のような理想的なコーヒーエリアに、まるでJAZZミュージシャンのような渋い70歳のポールさんと、ラスさんが待っていてくれた。実はここは何にもない(草原というか木がない土地だった)ところだったが、オーストラリアの兵隊たちが帰国したのち、1982年にポールさんがコーヒーの苗木を作って植え始めたのが、ここのコーヒーの歴史の始まりだ。ポールさんはまさにマウントハーゲンの伝説的なコーヒーマンなのだ。

そんなポールさんとラスさんたちも実はお金の流れに対して不透明さゆえに不信感を抱いていた。「いったい俺たちのコーヒーは本当に適正な値段なのか。」「輸出業者、輸入業者がたくさん儲けているのではないか?」「おれたちはロースターに直接販売したい。」と、赤裸々に語り始めた。二人は、我々も農家の仲間たちへの責任がある!と熱弁していた。

その意見に対し、海ノ向こうの山本さんがサプライチェーンの重要性について熱く語り始めた。その場は熱い議論の場となった。山本さんの熱を帯びた説明にポールさんやラスさんたちも深い理解を示し、深く頷き、違う立場の者同士が話し合うことで理解し合ったのだ。その場はとても感動的な空気になったように感じた。腹を割って話し合うことは本当に素晴らしいことだ。

ジワカコーヒーのエマさんが取り扱うポールさんのアミブラ、ラスさんのモガのコーヒーのストーリーは本当に心が温まった。カッピングの時に気になっていたエマさんのコーヒーはやはり素晴らしい人たちによるコーヒーだったのだ。

パプアニューギニアという国を旅して、その破格の土壌風土の素晴らしさからくる、高いクオリティと可能性や様々な形式の農園経営の形。そして、これからサプライチェーンの仲間が手を取り合って品質向上や安定、効率化、報酬への還元などをアップデートしていくことにより、アジア・オセアニアエリアにおいて、いや世界の中でもトップレベルの素晴らしいコーヒー生産国となることを確信することができた。翌22日に伺ったシグリ農園含めて本当に素晴らしい生産者たちと出会うことができ、感謝な旅だったと心から思う。

ちなみにローカル料理を食べる場所がほとんどなく、シグリ農園のメンバーと行ったインド料理屋で「ガーデンカイカイ」という蒸し野菜の料理を食べた。無論とても美味しかった。もっと深めていきたいなあ。また!パプアニューギニア!


今回の渡航話は、スピンオフとしてPodcastでもお届けしています。ロースターの視点からみる産地の話やパプアニューギニアならではのサプライチェーンの話など現地のリアルなエピソードもあわせてお楽しみください。

TEXT / HIROAKI AZUMA(ONSAYA COFFEE)
EDIT / KAE NISHIO

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