タイ、チェンマイ。カレン族の人たちが暮らすノンタオ村にあるlazyman coffee におじゃましてきました。
代表のSwae(スウェ)さんのお家の一角で小さなカフェを営んでいます。
地域の農家さんからコーヒーチェリーを買って自分たちで精製、焙煎、抽出まで一貫して行うので、タイミングがあえば摘みたて焼きたて淹れたてコーヒーが飲める、なんとも幸せな空間です。
スウェさんによると、ノンタオ村の人たちはその昔森林保護という名目で共に暮らしてきた森を追われそうになったとき、地域に呼びかけ団結し村人や周りの地域の人たちみんなでチェンマイを通ってバンコクまで、抗議の行進をしたのだそうです。
その後もケシ栽培の普及と撲滅、最近だと大きな企業が提供する種と農薬による借金。外から大きな変化がもたらされていますが、昔のように地域が団結して伝統的な暮らしを守るために闘うには、すでに”新しい”生活に染まりすぎていて難しく、どんどん伝統的な生活は失われてきてしまっているのだそう。
それでも。
外からの変化にただフォローするのではなく、カレンの暮らしと新しい暮らしの間にある答えを探しすため、地域の若者たちが集まって自分たちを”lazy = 怠け者”と名乗りはじめ、ある人はカレッジを運営したりゲストハウスを開いたりコーヒー屋さんをしたり。それぞれのやり方でlazymanの哲学を発信しています。
コーヒーづくりは、lazymanにとってちょうど伝統と新しい暮らしの間にある営みなのだと思います。
森を守りつつ、ちゃんとお金も稼ぐ。
でもコーヒーはお米のように自分たちが生きるために作るわけではないし、たくさんの加工工程があって、とてもただの怠け者ではいられません。
彼らは「コーヒーは窓なんだ。」と言っていました。
lazymanの世界と、外の世界がつながる窓。
コーヒーを通して、世界の様子を探っているんだそうな。自分たちらしさを残しながら、ちゃんと外と繋がって生きていけるバランスを探ってる。
逆に、毎日いろんな国からふらっとカフェに人が訪れます。彼らも、コーヒーを通じて’新しい’暮らしの種を持って帰っているように感じました。
代表のスウェさん。コーヒーを飲みながら、ギターを弾き語りながら。
カレンの暮らしやlazymanの哲学を面白おかしく、優しいトーンで語ります。
コーヒーは人にストーリーを伝えるためにとてもいいと言っていました。
長話をしてても、コーヒーを飲んでる間はきいててくれるし、
飲み終わったあとも、たとえつまらなくても、カフェインのせいで寝ないできいててくれるからいいんだそうです。
日本で、スウェさんの代わりにコーヒーを飲みながらlazymanの哲学をお伝えできる日が待ち遠しい。
彼らにとって、とてもとても大事な木の写真です。
子どもが生まれたら、へその緒を竹にいれて、木にくくりつけるのだとか。
しばらくすると自然と落ちて、もうしばらくすると土に分解されていく。その過程で人は生まれ、最期には土に還ることを学ぶのだそうです。
その木は魂の木と呼ばれ、生涯かけて大事にします。
地域の人たちはどれが誰の木か、だいたい把握しているそうですが、土に還ってしまっているのでパッと見はわかりません。
この話を聞いたあと僕の中で、森に生えている一本一本の木が、村の誰かが大切に守っている魂の木にみえてきました。
大切にせねば。